自分史 2   30代~40代

 

2001 平成13年 35歳  冬 東京ディズニーシー建設 塗装チーム 

吉田ケンゴの 「ひょうこま」参加

 火・魔女他暗鬱な一万年祭  9・11テロ発生  

北海道旅行は徒歩と鉄道。羅臼湖の絶景と至近距離に熊の気配札幌 玉置さん。

アイヌ文化を知る。

 

あまりの広大さに恐れ入り歩いていたのではラチあかない。 次の探査はバイクを導入することを真剣に検討し始める。

9月より小金井自動車学校に通い中型二輪免許取得。

職はフリーター。様々なバイトなど。

密かに貯めていた30万円をおろし、

ホンダREVEL導入 

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関根工業塗装チーム参加 日本橋など。 

態度のよくないヤツだった。

 

2002 平成14年 36歳  日本山妙法寺のご縁で寺院の補修工事 

日本山妙法寺 寺院清澄寺 明平健児上人   房総半島旅 バイクでGO! 

北海道ツーリング~東北縦断旅  長野~高遠ひょうこま旅

高遠ひょうこまにて屋根に上って動けないネコを脚立で救出の際高所から頭から地面に落下するが無傷であった。

 

 

気分は完全に「イージーライダー」風。

 

 


標茶町 やすらぎ園で即興ライブ。(本名伏せる。) 

 



 

 

 

人生最高潮の幸運期。

 

 

秋、WAKAちゃん出会う 関根組なぐりバイト ブルースビンボーズレコーディング PAINT BOXレコーディング  ビルトコーポレーションバイト   

 

 

 

2003 平成15年 37歳  春のひょうこま 阿佐ヶ谷のアパートを引き払いWAKAちゃんとバビロン東京脱出、旅の一年始まる  強引なリセット   

長野・大鹿“ふりだし塾”に入所。

 

大鹿ふりだし塾 (janis.or.jp)

 

第一期生としてげたさんの下でワイルドライフを習う。

レイキヒーリングシステム ファーストディグリー習得 7/26

 

罠にかかったシカの刺身を食ってひどい目にあう。

 

 

 

 

秋になり 飽きたので大鹿を脱出することに決めた。

ワカちゃんとも別れて、おれはまた一人で旅に出るのだ!

 

 

 

 

 

 

11月那覇石垣島 

富成造園バイト 

沖縄県はハブはいるし 戦争の爪痕。

ひどい状況。 

最悪の旅。

フェリー代稼ぎ 脱出。

名古屋から雨の国道 敗北の北上 

大鹿に戻り状況報告し すぐに退却

 

 

山梨 大泉 ある女の家で年越し(名は 忘れた。)。

 

春の七草 パック詰めのバイトで数万円ゲット。

 

その後 路頭に迷いバイクで故郷横浜へ帰還。

 

 

 

そのころブルースビンボーズ「 Rocknroll soul」発表。

「スットビ☆ヤス」名義 ゲストにて参加。

 

 

あぁ、 

Homeless~ 

 

 

挫折 の冬。ワカちゃんとも別れてしまったし家も無い。

 

どうしたものか。

 

寒いし 金もあまりない。

 

 

やはりおれは、

北海道行きたい。

 

北海道に住んでみようかな。。。。

家賃安いって言うし。

 

東京生活も戻りたくないし北海道に住みレザークラフトを落ち着いて極める目標。 

 

いきおいとノリで 田舎暮らししよう!

 

よし 決めた北海道に行く!

 

 

 

-------------進路変更--------------

 

こうして 東京カウンターカルチュァライフを満喫したスットビ☆ヤスはアイヌ文様を入れた革工芸品の制作という人生の目標を打ち立てるに至り、安い家賃で薪ストーブとか工房とか農業とか自然とかとかいろんなキーワードに対するイメージ先行で、北海道移住を夢見るのだった。

ワクワクする人生展開である。

そのイメージを膨らませるのに大鹿ふりだし塾での半年間のワイルド体験は充分過ぎた。

しかし、

実社会を全否定したようなコミューンのような場所で暮らすのは自分の性に向いていない。

 

自分のやり方で自分の生活は決める。

 

 

 

 

 

 2004 平成16年 38歳  挫折→転機の年 No particular place to go.

 

一瞬パチ中になりかけるが一枚のチラシが目に留まり仕事を見つけて再起計画。

 

金沢区の自動車部品工場 横浜機工 超激ハードな仕事であった。

ものすごいスタミナと生命力だった。

 

よく働いて数か月で115万ゲット! 

 

金持ちになったのだ!

バイクを整備しフェリーに乗って東京再脱出。 

7/13 スットビのヤス 北海道着陸大成功  クラブ 洞爺いっぷく庵に身を寄せる。

 

水谷ロッジに居候。

 



 

北海道ツーリング三昧~ 一万年祭  

 

夢は実現する。

北海道に住んでみるのだ。

勢いとノリでやってきた 恋焦がれた土地。

 

北海道の越冬やる気満々。

 

 

秋になった。

4輪駆動の宇宙船を買うのだ。

 

 

 

 

 

 

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17万円で知人から ライトエース級4WD大型宇宙船(スターシップ)を買った。

 

広大な土地を旅するのに最適な輸送型クルーザー。

 

ファンキーな改造を施し 厳冬でも車中泊可能な居住環境を整える。

 

 

 

 

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これはおもしろい宇宙船だった。

 

 

 

だが ゲストシート(助手席)には常にBluesが乗っていた。

 

 

 

 

林ファーム 秋の収穫バイト  越冬開始   水谷ロッジ  

 

得体の知れぬニセコのペンション脱出。

 

ルスツリゾートバイトも脱出。

 

キースジャレット- ケルンコンサートにハマる。

 

包丁研ぎ屋営業開始。

 

壮瞥町盤渓温泉のある建物の屋根の雪下ろし単独で行う。

知識も技術もなくよく事故遭わず終えた。

 

下川 友人宅に居候し森林仕事。厳冬の道北。

ドカ雪の中の道の駅 車中泊

よく生きて朝を迎えた。

 

ネズミにエンジンやられてすべて水の泡。

ブルースと共に札幌へ帰る。

りゅうじさん宅いそうろう。

 

 

夜はクラブいっぷく庵。キメッキメの日々。

 

けいこさん。

 

 

 

 

 

 

 

2005 平成17年 39歳  

 

家探しの春。レストラン星の家 喜茂別基地定住  林ファーム  

 

秋から冬タイセイ農場収穫 洞爺湖民芸御殿短期バイト まだまだ気分的にも絶好調!自信があった。

フロンティアスピリット:開拓者精神。

しかし、人生の基本地盤が緩いことなど本人はまだまだ気づかないでいる。

グランディングしてるようで あとから俯瞰するとまだまだ甘い。

 

ともあれ 外の世界が見えない。とりあえずインターネットとやらが出来るパソコン欲しい。 

が、金がない。

 

 

                    

 2006 平成18年 40歳  2年目 軽い気持ちで入職した根性の中山峠除雪隊1月から3月 えらい仕事に入ってしまった!

あらゆる雪の性質をここで習得。

今後の生活に役立つだろう。

 

やりこなし、春、通信部門PC導入 eマシンを札幌のヨドバシで買い込んで

帰る途中深夜 中山峠の頂上付近で車がアイスバーンで3回転する。

でも もう慣れたものだ。

 

 

パソコンを手にしたオレは世界を見渡す。

これはおもしろい。

 

mixi流行るのでハマる。 

 

 

洞爺湖をライフジャケット未装着でカヌー漕ぐ。

危険極まりない遊び。

よく死ななかったな。

 

 

 

 

一万年祭参加、そこで知り合った魔女のような女が舟に乗って家にやってくるがすぐに出ていく。

 

なんかヘンな精神世界論にハマり一時期危ないヤツだった気がする。

 

ルスツリゾートメンテナンスバイト工藤正信BAD 

 

この年から前厄始まる。 凋落の足音。

 

貧困により愛車レブル手放す。

下村誠さん他界悲しい。 禁煙開始11/27~ かなりゆるくない冬。 孤独と忍耐。

革工房の始動に向けて準備進める。 

     

2007 平成19年 41歳  北海道移住3年目  本厄年 

少し余裕も出てきたので原革購入。レザークラフト再起動=「アイヌ文様を取り入れたオリジナルデザイン」の構築に向けて一歩を踏み出す。

ルスツリゾートバイトで打ちひしがれたが春、再起して洞爺地区の仲間を増やし

六ケ所村反原発運動なんかに首つっ込む。 伊達市で「六ケ所村ラプソディ」上映ムーブメント起こす。

洞爺いっぷく庵なんかで調子に乗る。

禁煙なんか失敗。

 

下川のイベント参加。

 

夏、PaintBox チェルシー他界 衝撃!

 

永眠から7年——不世出のパンクギタリスト、CHELSEAの功績と人柄を振り返る - Real Sound|リアルサウンド

 

  

Chicago bluesまたやりたい、札幌久保拓馬再会 働きたくなくリュウジさんちに身を寄せる。 

 

経済状況過去最悪 貧乏(やっぱバイトしなきゃね。)

孤立感 寂寥感。 秋の札幌 ごみ回収バイト  

何をやっても裏に出る感じ。情けない。

 

スノーワールドバイト スノーモービルのツアーガイド。

 

だれもおれを「ちょし」てくれない。

孤独感に打ちひしがれる。  

            

ふきのとう 「白い冬」を聴いて泣く。

 

 

www.youtube.com

ふきのとう/白い冬 ≪歌詞≫ (1974年) - YouTube

 

 

 

しかし打ちひしがれてばかりはいられない。

がんばって冬を乗り越えねば・・・・

 

 

2008 平成20年 42歳  スノーワールド洞爺事件  孤立感。 

レザー メディスンバッグなど設計製造着手。

あきらめてハローワークに行き2月富成商店入る。悔しさ。空振り。

 

なんだか疲れた冬だった。冬疲れ。

春になり 車の修理などに金が飛ぶ。

 

 

洞爺イベントなど開催したゆみこと六ヶ所村へ行く。

引き続き空回り 不調  後厄  tobi-tobi-star Leather craft☆ 

巡回包丁研ぎ屋札幌。 小泉さん出会う 

ゆみこにやられて ひどい一万年祭。

好調のようで、物足りなさが大半。

ホントbar出演 スットビのヤス北24条によく行く。  

 

 

米谷のえさん他界  

 

 

あきらめて富成商店の冬 

 

 

やはり ふきのとう「白い冬」を聞くと 涙が出る。

 

 

 

どいつもこいつもまったく!

信用出来るやつなんて この世の中に存在しない。

そういう世界観。

 

 

 

 

 

2009 平成21年 43歳  富成商店バイト  正月明けインフルエンザ  

 

とびひょん☆名義始動。  

 

川津誠司他界 これで何人目だ友人の他界で悲しむつらい冬だった。

 

二風谷よく行く。

 

小泉さんと遊ぶ。  

 

一万年祭で池上高代遭遇。

一万年祭会場ゴミ処理場新装  

 

道北滝西の森林にて至近距離にヒグマの気配。

よく襲われずに!!!・・・・・恐怖!!

 

なんかふっきれず。 よくない状態。  富成商店  池上高代によるネガティブな年越し。 

                          

 2010 平成22年 44歳  ノア中古車購入  

☆suttobi-star Leather craft☆ 

池上高代と過ごす冬。最悪。

 

一万年祭 よくない。

池上騒動9月  

 

山田農場 ゆり根を掘る寒い秋。 旭川・札幌アートマーケット系  あまりぱっとしない。孤独感が付きまとう。

  

2011 平成23年 45歳  元日は二風谷で過ごす。1月~ヒラフ駐車場ぶらぶらバイト。 強い歯痛 

 

3/11 東日本大震災 福島原発事故   

 

母親を北海道に招待 

 

洞爺湖  貫気別丸山農園 イカレ極道のアキ ラスタ ガンジャ

二風谷の夏を楽しむ。 

 

マズい物キメキメで深夜 ひだか三石の道の駅まで運転。

ほんとによく生きてた。

 

Not Square出品 

きれいな画像は《Not Square》 | -----Ezotic leather----- (jugem.jp)

 

慢性的に金欠。キャッシング増加。 

 

イオニアフーズ の冬 ロングウォレット制作、 ネガティブな妄想に困る。精神的にクライシス。 また禁煙開始  

 

2012 平成24年 46歳  落ち着いた正月。  

☆suttobi-leather craft☆

イオニアフーズひどい。

林ファーム。 

母親招道札幌小樽  車検 順調  普通  質素  シンプル  平穏  停滞     

充足と平定の兆し。

 

ネットで昭和歌謡曲集め  

 

最後の一万年祭参加 

「精神的完全単独独立」を確認。

クレードルバイト11月  

 

9冬目  12月~ヒラフゴンドラ駐車場ブラブラバイト 米田・高松に被爆

 

                                                                         

2013  平成25年 47歳   歴史観の転回成る  川西農園4月  プロボックス導入  母親招道洞爺湖  いろいろと気づきが起こり始める。世界観の変容。 安定した精神。常にこの環境と状況に感謝。 

 

現代アイヌのうさん臭さを体感。自称シャーマンのアシリ・レラ(山道康子)と決別アイヌモシリ一万年祭」からの脱却。

参加せずに帰ってくる。

転機と言える。

 

 

10冬目  

 

富成商店。 (黒川 山田のバッドにやられる。 こいつらの名は忘れない。) 

 

beat box 知る 

 

Windows XP e-Machine退役 DELL8導入  

 

アイヌと離縁 我に返る年

  

 

 

2014 平成26年 48歳  母親招道札幌雨 北海道移住10年目 

道東地方行商旅 美瑛の夏  

 

アイヌと縁を切り 非常に吹っ切れた気分ですがすがしい。

 

作品作りの春。

在庫数過去最大。

夢に描いていた瞬間。

 

行商のため大きな旅に出る。

 

 

2014年夏 | -----Ezotic leather----- (jugem.jp)

 

 

今回は ほぼうまくいき

 

 

感無量の三笠 湯の元温泉。

 

深夜 帰還。

 

全てが終わる。

 

 

9月上旬 集大成の旅、ひとまず 終える。

 

 

 

 

 

 

 

 

北海道生活での12年にわたる画像集。

 

 

 2021-06-01から1ヶ月間の記事一覧 - hamabase.2021 (hatenablog.com) 

 

 

 

 

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30代の終わりに、「アイヌ文様のレザークラフト」を極めるつもりで北海道に上陸し

アイヌの里に自分なりの表現を学び、それなりに作風も確立し納得のいくデザインを彫り込むことも徐々に出来てきた。

が、しかし、いつまでたっても「営業」がだめだ。

性格的な問題である。

自作品を売り込むことの難しさ。

モノを作る楽しみを追及していただけのだが、在庫が増え始めた頃からこの難問題にぶち当たるのは時間の問題であった。

 

今回の旅で、売り上げ目標を何とか達成できたのは神がかりな「運」のおかげであった。

旅の後半にやっと幸運の女神がこのしょぼい行商人にチャンスを与えてくれただけだ。

営業センスで、自分の店を繁盛させたとは思えない。

楽しんで製品を作れば作るほど在庫は溜まり、売ることのハードルが立ちはだかる。

日焼けや硬化など 製品はいつまでも長く持つものではないので一定の期間内には掃けてやらねばならない。

売れなければ 作っても在庫の箱が一杯になる。

その連続に 正直疲れた。

頼みの綱であったはずのnot-sqareも中途半端な終わり方をして無責任に在庫を突き返してきた。

これだから他人は信用ならないのだ。

次なる販売系統の確立までの時間と労力を費やすほどの執着は 今は特にない。

アイヌ文様というものにたいしてのこだわりも消えたからである。

それもこれもアイヌ社会のうさん臭さ、一途に心身を費やしてきた「アイヌモシリ一万年祭」の「くだらなさ」を悟った我自身の 必然的な心の成長ととらえることが自然と思われる。

看板を掲げていた、「アイヌ文様のレザークラフト」を 魂を込めて制作する意欲が

消失した。

 

だが、それがすべての終わりではない。

紆余曲折の40代も半ばを過ぎ、心の成長を機に真の人間社会に少しは貢献する自分をイメージした。

左翼的な平和や愛の呪文やきれいごとで固められた偽の社会ではなく、もっと泥臭い本当の人間社会に自分をもう一度投じ 人生を試していく。

 

ひとつの旅を終える覚悟。

 

 

さて、、、、、、、

「賃金労働」しかないではないか!!

 

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9月~10月  工房休業閉鎖 ニュートラル期間 

ゾンビ状態の不健康な引きこもりが続く。

夢も希望も終わった。叶えて終わったのだ。

全てやりたいことはやった。出来ることはやったのだ。

 

あとは死ぬのか?

それならそれで、、、、、

 

 

いや、まてよ。

まだ早くねーか?

 

 

 

 

 

 

 

一念発起し、

 

ハローワーク」の門をくぐり、履歴書を書き 決断し、

 

10/16 「愛和の里きもべつ 」(知的障害者生活支援員 準職員)就職。 

 

同時に「スットビ☆ヤス」名義 廃棄。

本名で社会に参加し始める。

 

 

この時決断したことによる転機が のちの自分の人生を切り開く幸運となる。

気ままな工芸自由業を廃業し、社会福祉の世界へ分け入ることにする。

 

常にこの環境と状況に感謝し11冬目突入。 

 

 

---------再起-----------

 

                                                                                                               2015 平成27年 49歳  愛和の里 「知的障害者生活支援員」 母親招道洞爺湖  充足 生活安定 いろいろと気づく。 sound system再構成 標語「人生エラーだらけ」  HPパソコン導入   12冬目 これ以上この地にとどまることは意味がない。 一つの期間が終わる。 蝦夷脱出計画。 北海道にはもう用はない。

                                                                                       

 

2016 平成28年 50歳  4/20  喜茂別基地居住11年目 

 

5/23横浜下見 アパート契約。

 

6月 実家の猫 キュー逝く。

 

6/25愛和の里退職。とてもいい人たちだった。 

6/30北海道喜茂別基地撤収。

さよなら 北海道。

もう二度とこの土地に足を踏み入れることはないだろう。

 

HIS - 500miles - YouTube

 

 

ジェットスター旅客機で飛び立つとき 窓の外に目を向けることはなかった。

嫌いになった女を避けるかのように、おれは北海道の地を離れた。

 

12年間の北海道生活に終止符。

綿密な計画と行動により横浜に移住する。 

帰ってきた横浜。

 

夜の羽田からの高速バスでベイブリッジを越え

横浜の 氷川丸マリンタワーが目に入った途端

あふれる涙 涙 涙。

バスの中でなに一人で泣いてんだ馬鹿。

感動の脱出劇。

故郷横浜の光。

シウマイ弁当が食べれる!

 

長い旅を終え

そして次の旅が始まった。

 

7/5  横浜 長浜基地 入居。 

移動手段として 小型スピーダー アドレスV125導入 横浜探査。 

 

50代へ入る。

 

日本光機工業検査工臨時雇用。

 

11月ハローワークの紹介で「介護職員初任者研修」藤沢フィールズ 受講

介護職資格取得への道に突入する。

 

 

学生になってしまったのだ。

 

 

 

 

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