





ヤフオクでボブ・マーリーのかなり精巧なフィギュアを見つけて落札した。
最初はなぜか風呂場に立っておられたが Bobをお連れしてどっかに行って撮影をすることになったのだJah 。
Bob Marley あちこちに立つ。 横浜編
象の鼻防波堤


ワーポ前でラスタファーライ

東口 崎陽軒本店前

(微妙にラスタカラー)

ハマの宝 氷川丸に乗船。


みなとみらい




Irie ! I & I .
つづく。

連休なので家でごろごろしてるのももったいないのでバイクに乗ってGo!
久里浜からフェリーに乗り、

三浦半島を離れ、、、、、、。

浦賀水道を横切ると 40分ぐらいで、

房総半島に着く。
127号を南下し、

崖に祀られた観音様にご挨拶などし。
ノイズキャンセリングイヤフォンではSPACE AMBIENTやChill Out系の音楽。
南端を越え外房の千倉まで足を伸ばし



ちょっと 食べ過ぎたようだ。
おなかパンパンでたいへん。
満足して帰ってきた。
あと
9/2には松田聖子の武道館コンサートすごくよかった。
感動した。
なぜ、今 松田聖子なのか。
若い頃(80年代 10代)はJazzやBluesなどマニアックで生意気な音楽ばかり聴いていた私は、アイドル歌謡なんて見向きもしなかった。
だが、元々
細野晴臣。
7~80年代 日本の音楽。
「はっぴいえんど」・忌野清志郎 ・井上堯之などを細々と研究しているのだが、
80年代歌謡曲
このあたりのキーワードを探求しているさなかたどり着いた頂点に
1980年代の松田聖子がいた。
何曲か聞いてみた。
ふむ・・・・
80年のアイドル
旅立ちはフリージア タケカワ ユキヒデ作曲 1988年
つーか、歌うますぎるし表現力半端ではない。
曲もすごくいい。
どれ 本物の松田聖子を見てみたい!
Seiko Matsuda Concert Tour 2022 “My Favorite Singles & Best Songs”
9/2(金) 日本武道館

すげー-・・・・
パチンコ台みたいではないか!

7月に先行発売されたチケットの抽選にダメもとで応募したところめでたく当選したのでありがたく武道館に向かわせてもらった。
数万人のファンと共に松田聖子を拝んだ。
ステージの演出、楽曲のすばらしさ、歌唱、そして松田聖子の、人としての目を見張る美しさに終始息も出来ぬほど感動し続けた2時間余りであった。
幕が上がるといきなりストラトキャスターをジャカジャカ弾きながら登場した松田聖子には驚いたが、次はドラムセットに腰掛け8ビートを刻みながら歌うというサプライズパフォーマンスもあった。
松田聖子はドラムも叩けるのか!!
次々と曲が替わりかっ飛ばしてる。
望遠鏡で見るまでもなく、すごくキラキラしているではないか!
“My Favorite Singles & Best Songs”とあるようにヒットした名曲を連続で繰り広げたのち一息ついて「松田聖子です」とMCが始まった時は感動した。
これが「松田聖子か!!」!!!
すげー-!!!
神田沙也加殿の「ever since」を熱唱されて、沙也加ちゃんの話になった時は
わるいがおれは泣けて泣けてどうしようもなく目をつぶり体を丸めていた。
これだけは本当に辛かった。(静かに鼻をかむが鼻紙が一気に無くなった。)
でも気を取り直し、アコースティックステージでは名曲をアコースティックに編曲しバンドのメンバーと椅子に座り演奏された。
リクエスト合戦でアカペラで歌う聖子の歌唱力にあらためて敬服し、
還暦の歌姫の貫禄は余すところなく感じられた。
手を合わせ拝んでしまった。
そして、これが「松田聖子」ワールド。
終盤はレーザー光線ビッカビカでパチンコ台のようなきらびやかなステージセットに、聖子が「コーヒーカップに乗って」せりあがって登場するというちゃめっけたっぷりな演出にニヤニヤしてしまう。
バックスクリーンは お花畑や流れるお星さまとか童話の世界とか・・・・
いつまでも 終わらないでくれと 心の中でつぶやく・・・・
そして客層はやはり、
50 60代のおばちゃんが圧倒的に多かった。
長年聖子のファンをしておられる同世代の人たちが妙にシブい。
にわかのファンの私としてはまずは「ツアーTシャツ」を日常で着こなすところから始めなければ。
知っている曲が次々に出てきて、ついに赤いスイートピーで武道館はクライマックス聖子ワールドに。
数万人のファンがおもむろに「スイートピースティック」を取り出して曲に合わせて左右に振る。
これは和やかな雰囲気だ!
あれをおれも買っておけばよかったのだ!
感動して失神しそうになったが心を落ち着けて鑑賞を続ける。
キラキラと輝いて見えるステージの松田聖子の還暦とは思えない美しさに驚いた。
しまいにはミニスカートであの武道館の広いステージを走り回りファンに感謝の頭をお下げになる聖子に「神」を感じたのは決して私だけではなかったはずだ。
松田聖子の楽曲は 言ってみれば昭和の音楽の巨匠たちが寄ってたかって「歌ってくださいこの曲を」と一人のアイドル歌手に持ち寄った珠玉の名曲ばかりだ。
今から思えばなんと贅沢な音楽だろう。
このあたりのことは数冊の文献で今研究中である。
1980年の松田聖子 (一般書): 石田伸也 + 配送料無料 (amazon.co.jp)
松田聖子の誕生 (新潮新書): 若松 宗雄 + 配送料無料 (amazon.co.jp)
松田聖子 41年目の真実: ママドル・セイコ研究会編集部 + 配送料無料 (amazon.co.jp)
Miles DavisもThe RollingStonesもYMOも見損ねてきているエラーだらけの人生だが、今回松田聖子のステージをじっくり見ることが出来て本当に感無量であった。
松田聖子はすばらしい。
来年も ぜひ。
自分史 自分自身のために過去を記録。
1966 昭和41年 横浜に生まれる。 根岸:横浜赤十字病院
川崎大師 大師中町アパート

1967 1歳
1968 2歳 戸塚区 飯島団地転居。

1969 3歳
1970 4歳
1971 昭和46年 5歳 戸塚しらぎく幼稚園 入園 ゆり組
まだ、かわいい子供であった記憶がある。


戸塚区飯島団地は高度経済成長期に建てられた新興住宅地。
周囲は田畑と林、妖怪の出そうな薄暗い山の小道やキラキラ光る小川や草原。
1970年 本郷の畑を横切る根岸線が開通し、当時は珍しい高架鉄道を見に行った。
子供のころに自然の多いこの地域に育ったことはありがたい。
ザリガニ オタマ カブトムシ クワガタ ヘビ 探検 防空壕の洞窟とか田んぼで野糞。

蛇の死骸を木でつまんで運び、知らぬ人の家の戸の新聞受けに入れて笑いころげながら逃げてきた記憶。
痛快ないたずら癖は このころすでに炸裂していた。
1972 昭和47年 6歳 年長きく3組
1973 昭和48年 7歳 妹 誕生
飯島小学校入学 1年


放課後、女友達とこの畑に入って ネギ坊主を片っ端からちょん切って投げて遊んでいたら農家の爺さんに怒鳴られて逃げた記憶。
今もネギが植えてあるのに驚いた。
家では蓄音機で仮面ライダーなどのアニメソング ニニロッソなどのイージーリスニングや童謡やマーチを聴く。
特にニニ・ロッソなどを聴いていた。
はじめて音楽に目覚めた幼少の頃。
1974 昭和49年 8歳 小学校2年
南区 南永田団地 転居。
「永田の丘の いたずら小僧」
横浜市 南区 永田の丘 南永田団地には 小学校2年から高校卒業するまで住んでいた。
昭和49年に完成し一斉に分譲された高層団地で、同年代の子供たちが多かった。

永田台小学校 放課後 いたずらをしに 団地中を悪ガキどもとさまよう。
ポケットには 常に何かしらの「道具」が入っておりゆく先々で愉快ないたずらを繰り広げる。
水風船 爆竹 火薬鉄砲 棒切れ パチンコ サインペン ライター・・・・・・・
高層団地のため 高い階から「物を落とす」ようなファンキーな行為が多かった。
水風船をバス停の行列めがけて一斉に降らせるなど。
今やったら逮捕だ。
自転車に乗って友達と駆け巡る。
土曜日の夜は ドリフをみて笑う。


山王台の「鉄塔山」。
南区で標高の一番高い場所。
昭和50年ごろにはゴルフ練習場が出来た。
ゴルフボールを拾いにてっぺんの林に侵入して係員に見つかって逃げた。
高校の時は裏の平地でよくトランペットを練習した。
横浜港まで見通せる景色の良い草原が広がっていた。
今は高等学校になってる。

1-3号棟の公園。
1975 昭和50年 9歳 小学校3年 趣味は切手集め 近所の絵画教室に通うが 先生の指示を聞かずてきとうな絵を描きすぐに嫌がられる。
蓄音機で映画音楽全集を聴く。音楽的情緒感覚はこのころから鍛えられる。
いたずらばかりやっている。
恐い本 妖怪 水木しげる ジュニアチャンピオンコース
永田 邦光堂書店
1976 昭和51年 10歳 4年 パチンコや空気銃で遊ぶ。
「Abba - Dancing Queen」流行る。
愛読書「いたずら魔」
近所の数学教室に通わされる。
「8時だよ全員集合」
1977 昭和52年 11歳 5年 ドラマ「太陽にほえろ」が流行り「井上堯之バンド」を知る。
「学習塾」に行かされる。火薬鉄砲が好きだった。
カメラを買ってもらうがフィルムと現像代がかさむためあまり写真を撮れなかった。
父親の部屋にパイオニアの大型ステレオコンポが導入され様々な音楽の迫力に度肝を抜かれる。
井上堯之バンドにシビれる。
映画 スターウォーズ公開 これにもシビれる。
沢田研二の「勝手にしやがれ」「憎みきれないロクでなし」なども学芸発表会などにおいてのレパートリーであった。
地域の駄菓子屋巡り。(永田町のあんずや)
Hotel California : Eagles

Hotel California (2013 Remaster) - YouTube
1978 昭和53年 12歳
6年 「モデルガン」が欲しかったが買ってもらえなかった。かわりにSONYのラジカセを買ってもらい音楽を聴きまくる。
日テレ「西遊記」を見てシビレル。


永田中学校。
昭和54年度入学。
1979 昭和54年 13歳
横浜市立永田中学校入学
YMO出現する。
日々 YMOの音楽のことが頭から離れない。
体育の授業が大嫌い。水泳の授業も恐怖だった。球技が大嫌い。
美術 沢木満先生。AMラジオの深夜放送。
電車の写真を撮りに 保土ヶ谷 樹源寺によく行く。
1980 昭和55年 14歳
中学2年 井土ヶ谷の学習塾「東大セミナー」に通うが勉強はしない。
同級生と裏山でタバコを吸うが すぐにゲロを吐く。
YMO 高中正義 RCサクセション The Police 他 ニューウエイブ
映画「地獄の黙示録」でDoorsを知る。
勉強は嫌いだが音楽は大好きで洋楽 邦楽 カセットテープ FMエアチェック。
悪友たちとスーパーで万引きをやって捕まった。
友人たちと近隣のチャリツーリングに明け暮れる。
RCサクセションの「トランジスタラジオ」「雨上がりの夜空に」。
1981 昭和56年 15歳
中学3年 せっつかれ少し受験勉強 東大セミナーの悪友と塾の帰り道は京急の電車に水風船を投げつけたり、どっかの家の飼い犬をけしかけたり爆竹を鳴らしたり、悪いことばかりやって家に帰る。
ビートたけしのオールナイトニッポン。
担任:後藤クマオ 金沢区野島に住んでいた。
1982 昭和57年 16歳
神奈川県立大岡高校入学 吹奏楽部 トランペット始める。ニッケルメッキのYAMAHAトランペット バルブオイルの匂い。
ジャズを知る。 Miles Davis ルイ・アームストロングを知る。ジャズやトランペットのことばかり考えている。
ニニ・ロッソになりたかったし。
コンプレックス強くひん曲がった子だったが、決して内面に暗くふさぎ込むことはなく逆に突拍子もないいたずらを展開する危険性があるガキだった。
同級生の女の子たちにはかなり嫌がられていたのだと思う。
1983 昭和58年 17歳
高校2年 在学中の悪ふざけが甚だしく教師連中から問題児扱い。
YAMAHAトランペット YTR-6320 1001
長野斑尾旅行 斑尾高原BudweizerジャズフェスティバルでMeynard Fargusonを目撃し大きな影響を受ける。 9月 親と学校に内緒で原チャリ免許取得
同級生のHonda M.B.Xを借り切りノーヘルで乗り回す。(危ない!)
相変わらずJazzやトランペットのことばかり考えている。
クリフォードブラウン、ソニーロリンズ。
球技大会や学芸会など 生徒が集まる行事ごとが嫌いでそういう日は学校サボって家で音楽を聴くか日ノ出町のジャズ喫茶に逃げ込む。
集団に背を向ける癖はこのころ培われる。
1984 昭和59年 18歳
高校3年生 同級生と麻雀が流行する。
ジャズ 土曜の深夜はオールナイト・フジ
反町の横浜予備校などに通い受験勉強も少々。
少し「人生」について 考える。
とにかくジャズばかり聴いている。
「体育祭」とか「球技大会」が大嫌い!
走ったり、球を追いかけて楽しそうにしてる同級生が理解できなかった。
それより頭の中には複雑なメロディーとリズムが鳴り響いている。
1985 昭和60年 19歳 義務教育 一応終了 南永田団地の3階に住む。 やる気のない浪人 YAMAHAの50ccスクーター購入 代々木ゼミ 横浜のジャズ喫茶 伊豆大島旅 九州筑豊旅 友人に勧められ煙草を吸い始めるがすぐにゲロ吐く。
12月 実家引越し。金沢区へ。
1986 昭和61年 20歳
2浪め。
どうしようもない。代々木ゼミ通い
チエルノブイリ原発事故4/26
代ゼミで知り合った女の子にすぐに失恋してがっかりする。
渋谷あたりに買い物出て、横浜ジャズ喫茶入りびたりの浪人 まだ落ち着いた雰囲気の渋谷界隈をぶらぶらと買い物でうろつく。
1987 昭和62年 21歳 明治学院大学 社会学部社会学科 87S-127 吹奏楽部にてトランペット 昭和の大学キャンパスの思い出。 日本経済バブル最盛期に突入。船の科学館など依頼演奏。ステージドリルの楽しさ知る。
コンパなどで酒を飲まされ 吐く。
青春期のいろいろ。
1988 昭和63年 22歳 大学2年 北陸厳冬~京都旅 中国天安門事件勃発 MGSB明学ブラスバンドの日々。普通自動車免許取得 ドライブ。ファミリーマートバイト。買ったばかりのスクーター盗まれる。
同級生の金子さんに失恋してだいぶ落ち込む。
1989 昭和64年:平成元年 23歳 大学3年 大学吹奏楽連盟関連 渉外:依頼演奏幹事 合宿幹事 日本はバブル景気の最高潮。勉強なんかしない。コンビニバイト夜勤。サークル仲間とドライブやスキー。
仲間の家で「Blues Brothers」鑑賞し衝撃。
Rock R&B ブラックミュージックの存在を確認。
CDを買い Rockを聴く。
あまり性格はよくない。
1990 平成2年 24歳 大学4年 使い方わからないがシンセサイザー購入 後輩たちと夜遊び。大学生らしいコンビニバイト。
日本社会は「バブル期」に突入。
希望と華やかさあふれる街。
1991 平成3年 25歳 大学留年5年生 国際警備保障 警備員アルバイト 都内の無人ビルを深夜巡回する危険なバイト。福島 只見 野鳥見る旅、浅草岳無謀登山。よく遭難しなかったな。
ワープロ購入 デジタルにはまる。
マイルス・デイビス他界

「Blues Brothers」ライブ 本牧で目撃。
「Blues Brothers」ハマる。
1992 平成4年 26歳 高知~四万十旅 なんとか単位片づけ、大学卒業 ㈱西濃運輸 仙台支店配属 釣りを少々。 スカパラ 東京パノラママンボボーイズ ブルースブラザーズ 仙台市 蒲町のアパート「ヤスタケハイツ」 一人暮らし 初めての「孤独」経験し、「人生」について考える。
祖母他界し落ち込む。
次の日、ばぁちゃんが天から落とした贈り物、
ハーモニカ(ブルースハープ)と出会う。
出会いは不思議な偶然!
衝撃的な出会い。
仕事などどうでもいい。
おれはこれを吹けるようになるしかない!
職場終わったらひとり河原に行ってピープー吹く日々。
1993 平成5年 27歳 「Blues」を知る。 仙台にてダウンホーム・ブルース生活 。
仙台中のレコードショップを駆け巡り様々なBlues音源を探し求める。
宮城秋田山形奥の細道旅 音楽活動萌芽期 仙台 遠野旅行
シカゴブルースが頭から離れない。
バンドやりたい!
アメリカへ行ってみたい!
金が貯まってきた。
夢を持つ。
1994 平成6年 28歳 横浜支店転勤 ボンゴとハモニカ。友人山下氏に影響受ける。やはりドロップアウトをする時が来た。
counter cultureの奥深くに潜む得体の知れぬ刺激的な誘惑にあこがれ、興奮して
東京の中央線「高円寺」に移り住んで音楽三昧の日々を夢見る。
社会をバカにしたサラリーマン生活。とりあえず金だけはたくさんある。
会社は辞める気満々。
ニューオリンズファンクを知る。
「セカンドライン」の存在を知り度肝を抜かれる。
頭の中には常にシンコペートされたリズムとブルース音階。
朝から晩までニューオリンズファンクとBluesばかり聴いている。
----------ドロップアウトとリセット----------
1995 平成7年 29歳 ボンゴとハモニカ持って新宿あたりで遊ぶ。 調子に乗りすぎインフルエンザに罹る
2月、ダウンホームなアパート暮らしにあこがれ中央線沿線に住んでみたく 高円寺に来て不動産を探す。
3・21 西濃運輸 退職。 国際警備保障再入社 フリーターになる 東京阿佐ヶ谷基地設置 プロハーピスト石川二三夫さん師事。 高円寺馬橋公園で矢野忠出会う。
中央線の風呂なし安アパートライフ。阿佐ヶ谷二丁目 第一ワタベ荘
blues harp猛練習の日々。
アメリカ ブルースツアー シカゴ~メンフィス~ミシシッピ~ニューオリンズへ歴訪。シカゴのサウスサイド、メンフィス、ミシシッピの田舎で生のブルースを聴き肌で感じるブラックミュージック。
初の訪米体験に衝撃。
シカゴブルースを生で聞き、ニューオリンズという土地のすさまじい雰囲気に打ちのめされて日本に帰ってくる。
ブルースが離れない。
秋、うたうたいの米谷のえさん出会う。
バンドライブの楽しさに没頭。
次第に音楽バカになってゆく。
そして、社会人としての主流の路線を外れ(Drop out)アンダーグラウンドに広大に広がるカウンターカルチュァに惹かれてゆくのだ。
1996 平成8年 30歳
新年早々 のえさんに失恋してやさぐれる。
もう一回アメリカに行きたい!
二回目シカゴブルースフェスティバルツアー渡米 阿佐ヶ谷チェッカーボード 阿佐ヶ谷ブルース・ライフ謳歌!「 おっちゃんバンド」 国際警備保障 時速100キロで深夜東京を巡回。明けの日は高円寺南口噴水barbon blues
気取り半分、ミュージシャンになったつもりで高円寺のライブハウスやスタジオで遊ぶ日々。
1997 平成9年 31歳 「ボンソウブラザーズ」公式録音。
「Your heart hero Hirai」オリックス平井投手応援ソング。
バンド「 ハグレ組」 河津セージほか 高円寺!中央線! 都内音楽活動ダウンホームbluesライフ 西伊豆旅 バンドEm-club参加 スットビ☆ヤス名義 レコーディングなど。
音がすっ飛ぶ。
腰にハモニカたくさんぶら下げてすっ飛んで参上する。
そうした芸風が身について行き、
そして 1998年、すっとびのヤスと名乗るようになってゆく。
--------------転機-----------
「すっとびのヤス」の始動
1998 平成10年 32歳

突然思い立ち 塗料やステッカーを買い集め、
初代スターシップ建造(自転車)
巡航速度 20Kmくらい。
閃きと直感で仕上げた。
この乗り物は街中でよく目立った。
光速の1.5倍の速さで移動すると言っても誰も信じてくれない。
ホイールスポークのチェーリングがカラカラとせわしく鳴り、街ゆく人の視線がくぎ付けになる。
井の頭公園に停泊していた時、雑誌の取材まで来たような記憶があるが覚えてない。

(オーナー スットビヤス提供)
いよいよライブ活動が活発になり
バカまる出しで高円寺ライフ満喫。
ブーツィーコリンズのライブを山下氏とキメキメで見に行った次の日 職場でもめ事を起してしまい退職。
国際警備 退職 矢野忠らとバンド野郎生活
「日の出の森・トラスト運動」接触により左翼社会運動体験。
いわゆる社会運動。
ここでヒッピーカルチュァと左翼の連中の存在を知る。
矢野忠と北海道初上陸。北海道アイヌモシリ一万年祭
アイヌ民族と接触。
高円寺バンド連中と遊びまくる日々。
アンプリファイドハープ全開期。
仕事しないで雇用保険給付半年間。極楽のような日々。人生最高のバカっぷり。でも楽しかったし。

東京青梅 日ノ出の森トラスト地 「風の塔」
1999 平成11年 33歳
ハモニカの革ケースが欲しくて探しているうちに隣の町に皮革工芸学校を発見。
荻窪 クラフト学園に入校 レザークラフト開始
クロマチックハーモニカ。トラックバイト。
P.Funk マイルスデイビスなどを好んで聴く。
第二次北海道探査。広大な北海道を徒歩と鉄道の旅で2か月。一万年祭参加。
水谷ロッジなど知る。北海道に恋する。
スターウォーズ「エピソードⅠ」公開
秋も警備、トラックバイトなどフリーター 矢野忠ユニット 秋のひょうこま 日ノ出の森イベントなどに参加。
2000 平成12年 34歳 九州/長崎旅 天草崎津 先祖墓地清掃 四次元喫茶アンデルセン体験。
金がないのでこの年は北海道へは行かず暑い夏トラックバイト 運送屋で足を怪我
労災で生活を立て直す。
頭おかしくなり 高価な水晶など買う。
「日の出の森トラスト地」闘争10月11日 国家権力によるトラスト地
強制代執行の現場を体験。
ハナフェノ ゲスト参加
「ひょうこまキャンプ」
東京ディズニーシー建設 カウンターカルチュァ全開塗装チーム「モン組」参加の冬。
北海道行きたい
スットビ ヤスは本当によくない者だった。
下村誠ユニット

2000年代に続く。
自分史 2 30代~40代 - hamabase.2021 (hatenablog.com)

つれと かれこれこの数年で30回以上は利用しているこのホテル。
私の中ではすっかり第二の部屋として定着している。
横浜ランドマークタワーの52階から67階に位置するロイヤルパークホテルは
52階~59階・レギュラーフロア、60階~67階がスカイリゾートフロアに分かれている。
特に、65・66階は「クラブ」、67階は「トップ」と称され なにやら近づきがたい気品と高級感が漂う。(足を踏み入れたことは、ない。公式HP掲載の写真でしか判断できないが。)
ポピュラーなのは60から64階のスカイリゾート「アトリエ」フロアー。
スカイリゾートアトリエフロアーは レギュラーフロアと違い窓際にカウンター席がある。

生まれ育った横浜の街を、あれこれ思いながら高いところから眺めて静かなひと時を過ごす。
日常離れした高層階からの絶景を存分に楽しめて贅沢な時間を過ごせる。
横浜ロイヤルパークホテル 公式HP から
客室のご案内 | ご宿泊 | 【公式】横浜ロイヤルパークホテル|みなとみらい 夜景の綺麗なホテル|ベストレート保証 (yrph.com)
ご宿泊 | 【公式】横浜ロイヤルパークホテル|みなとみらい 夜景の綺麗なホテル|ベストレート保証 (yrph.com)


シティビュー北西面 横浜駅方面
高島屋のネオンがひときわ目立つ横浜の夜景。

シティビュー南西の部屋から相模湾方向。



シティビュー南西面
眼下は夕闇の横浜中心部。

シティビュー北西面

シティビュー南西面

シティビュー北西面からパシフィコ横浜側を見る。

南西面夕日

シティビュー南西面夕日

スカイリゾート・アトリエフロアの部屋は
デラックス
コンフォート
コーナーと3種類の形式。
それぞれ ダブル ツイン スイートとタイプがある。
コンフォートルームは建物の構造上 近くや目の前の部屋のアトリエ窓からこちらのカウンターが見えたりする。

その点コーナールームは突き出た壁の部分から四角にかけての区画なのでほかの部屋は見えず他人からの目線を気にしないで済む。
バスルームの広さもコーナータイプは大きめ。
バスルームに宇宙船みたいな小さな小窓が付いている。


シティビュー南西面 桜木町方面




ベイブリッジビュー 南東面

シティビュー 北西面
ベイブリッジビュー 南東 北東面は朝日が強く当たる
午前中アトリエカウンターでゆっくりしたいときは 晴天時はかなり暑く眩しくてつらい。
だが午後は夕日に照らされる横浜港の風景が鮮やか。
チェックインしたら観光地横浜のメインの場所場所がよく見える。横浜観光客はこの面か 山下公園を見下ろす南東面がおすすめ。
(最近 南東側の目の前に「北仲タワー」なる物件が立ち展望が阻害され 横浜中華街は目視出来なくなった。
さらにこの北仲タワーは屋上部分に必要以上に明るいイルミネーションライトがあり、夜になるとこれの眩しさが異様なストレスに感じる。)
シティビュー 北西 南西側は夕日が強く当たる
チェックインしてしばらくしてから夕日が当たり始める。
南西面は丹沢や富士山をバックに日が沈むところを 浴室の丸窓から眺めるのもいい。
朝の景色は眼下の建物が朝日に照らされるので非常にきれい。
眩しくもなく午前中は快適な景色を眺められる。
また、目の前に高層ビルも無く 4面の中で展望は一番いいと感じる。
保土ヶ谷 南 西区は目の前に一望できる。
遠く 港南台や洋光台の団地も発見できる。
横浜市民は自分の住む地域に合わせてシティビューに泊まるとおもしろいかもしれない。
私は故郷の南永田が目の前に見えるので南西面に泊まることが多い。


シティビュー北西面
横浜駅側。
夜は高島屋のネオンが象徴的。
遠く東京の光も見える。

ベイブリッジビュー北東面
夜間、羽田を発着する飛行機の光が頻繁に見え 東京の光も明るく、夜景を楽しめる面。

シティビュー北西面 平沼方面

このホテルは横浜のどこからでも見える。
南永田よりの遠景。



我ら横浜の 氷川丸。

2004年から2016年まで 好奇心と勢いで居住してみた北海道の旅と生活の画像をこのブログに保存する。
時系列はバラバラで 画像のダブりもある。
レザークラフトを生活の軸とし、「アイヌモシリ一万年祭」というイベントに無駄に関わっていた頃のことは旧 拙ブログ -----Ezotic leather----- (jugem.jp) に記録されている。





オホーツクの厳冬。

空知平野











北海道の「恥部」 ヒラフ地区。



アイスバーンの国道ではよくこういうファンキーな光景に出くわす。
スタッドレスを過信してかっ飛ばすからこういうことになるのだ。



札幌市で「巡回包丁砥ぎ屋」稼業。
6月~7月
スターシップで車中泊。



春秋はルスツの林ファームで働く。
よく働いた。


小豆の「ニオ」を立てる。




晩秋の洞爺湖畔



ついに 初雪が来る。
冬が始まる。









通勤の道。後方羊蹄山。

長い冬は 忍耐の時期。

冬は長く厳しい。




自室より夕日を眺める。


ルスツタワー屋上よりルスツスキー場。



ルスツ高原スキー場


5月はラッパスイセンとチューリップ。

雪解けの沢

洞爺湖 中島

あひる1 あひる2

家の前の畑はカボチャがうわさっている。


息をのむ絶景。
オロフレ峠より洞爺湖。



札幌 包丁研ぎ屋 巡回中。





きちんと積まないからこういうことになる。


飼っているわけではない。
罠に入ったのだ。


自宅 工作室。仕事場。




雪解け スイセンの芽。



2代目宇宙船 ノア 22万円で買った。
乗り心地はよいがあまり燃費が良くないし すぐぶっ壊れてしまった。

自室より隣の畑は小豆の収穫時。













朝 カーテンを開けると 狐とカラスがなんかやってる。

甘いミニトマトは自宅菜園の定番。





高価なミヤマクワガタがけっこう大勢いやがる。

家の中に出るとゴキブリと見間違えびっくりする。


ルピナスの新芽。



薪ストーブというものを焚く生活がしてみたかった。
11冬を体験し、薪ストーブと煙突掃除はマスターし尽くした。




仕事は8月前に完璧に終わらせる。
実はただ、ヒマなだけ。




通常薪ストーブはおよそ2シーズンごとに買い替えるが、独自の内部養生の方法により3シーズン以上持たせることに成功する。


臨界運転中のストーブの煙



ホワイトアウトで前の車に突っ込んだ。
金がないので直せない。

春分の日。
この日を待ちわびていた。

ノアがぶっ壊れすぎるので今度はPROBOX導入。
3代目宇宙船。
コンパクトで最高に使いやすい車。

快適な車中泊仕様に すぐに仕立て上げる。

隣の部屋のおっさんは 長い冬に耐えられず孤独死した。
(ご遺体を発見したのは拙者。)

自然の試練に耐えた命だけが味わえる 至福の季節。
命の再生。



氷点下27度の朝。

来年の越冬エネルギーの原材料。






家の前の除雪は相当の労働量。




雪囲い。

砥ぎ屋モービル車内




